「朝日新聞」夕刊連載 (2003/8/2・9・16・23・30 9/6・13・20 各土曜日8回連載)
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寄席 色物の世界 ―― 奇 術 ―― |
| 奇術1 守りたい日本の伝統芸 奇術2 顔や手の表情で見せる 奇術3 体震えた友のかっさい 奇術4 身近なもので驚きを増す 奇術5 格調ある様式美を追求 奇術6 小道具を駆使し「柱抜き」 奇術7 本やビデオで魅力紹介 奇術8 独学で芸磨きトップに |
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奇術1 守りたい日本の伝統芸 (2003/8/2土)
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日本奇術協会の会長をつとめる北見マキは、このほどオランダで開かれた「World Magic Congress」から帰ってきた。世界各国の奇術団体が集まって3年に1回開く「マジックのオリンピック」だ。コンテストは、トランプや玉などを華麗な手さばきで見せる手練技や大道具を使ったイリュージョン、サロンマジック、コメディーマジックなど10部門で競われた。各国代表による国際会議も開かれた。 |
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奇術2 顔や手の表情で見せる (2003/8/9土)
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| 北見マキはいま、東京・浅草演芸ホールに出演している。右手をちょっとひねるようにすると、空中から次々に花が生まれる。ステッキのような棒はアッという間に満開の花の木に。長いロープをあやつり、瞬時に三つの輪にする。3枚の黒いドーナツ盤のレコードがあっという間に赤、黄、緑に変わる。細かく破った新聞紙は、ハイッの気合で元通りに。財布の中の白い紙は千円札に早替り。切れ目の無い金属のハンガー4個も、たちまちつないだり、離したり。 15分ほどの間に、10種類くらいの小道具を使ったマジックを次々に疲労した。この間、ヤッとかハイッとかいう掛け声だけで、一言もしゃべらない。体の動き、顔や手の表情で芸を見せる。パントマイムや舞踊を見るような、あざやかな身のこなしだ。 「自分の会やホテルのショーなどではしゃべってお客さんを笑わせたりもしますが、寄席では短い時間にできるだけ技を楽しんでもらおうと。それはマジシャンそれぞれのスタイルですから」 タネもシカケもあるのは承知の上で、なおかつ見る人をエーッと驚かせ、楽しませる。それがマジックの魅力であり、北見がこの世界に足を踏み入れた動機でもあった。 |
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奇術3 体震えた友のかっさい (2003/8/16土)
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| 北見マキは北海道豊浦町で雑貨商の長男に生まれた。内気で、引っ込み思案な子だった。中学の卒業謝恩会で、何かやれといわれたが、歌も話も苦手。思い悩んだ末に考え付いたのが、手品だった。入門書を買って練習し、ドキドキしながら演じてみせた。 水を入れたコップの中に卵を入れ、浮かせたり沈めたりする。塩分の浮力を利用した手品というより理科実験のようなものだったが、大かっさいだった。「生まれて初めて注目され、体が震えるほどうれしかった」。これが奇術への道のきっかけになった。 室蘭商業高等学校を卒業後、航空自衛隊で会計を担当。ここでも得意の手品は仲間たちを大いに喜ばせた。3年後に除隊、このころからプロの奇術師への夢がふくらむ。札幌のデパートで手品の小道具を実演販売する派遣員になり、知識と技を磨いた。カードや玉などを使った基本の技だ。やがて上京し、マジックショップに就職、都内のデパートを回って実演販売を続けた。 そうしてどの師匠にもつかず独力で学び、65年に日本奇術協会に入会、プロとしての道を歩みだす。「奇術師には集中力やアイデアが求められるが、何より大事なのは、我慢してやりぬく根性。好きだったら、やれる」 |
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奇術4 身近なもので驚きを増す (2003/8/23土)
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| 江戸期に発展した手妻(てづま)は、能や歌舞伎の様式美を取り入れ、舞台のあちらこちらから水を噴き出させる水芸や和傘を次々に出してみせる傘道中など伝統芸が人気を集めた。明治になって西洋奇術、いわゆる洋妻(ようづま)が伝わり、これらを集大成して一世を風靡(ふうび)したのが松旭斎天一だ。その芸を継承した女性の初代松旭斎天勝は天才奇術師とうたわれ、昭和初期まで活躍。日本奇術協会を設立するなど、奇術の大衆化に大いに貢献した。 松旭斎系はいまも日本奇術界の主流のひとつだが、北見マキは、独学でカードや玉、コインなど市販されている小道具の習得からはじめた。やがて「格調のある日本古来の和妻(わづま)」にひかれ、大阪を拠点とした養老派の和妻の研究に没頭、76年に家元を継承した。「単なる手先の器用さで驚かすだけではなく、見る人に夢を与える芸を」と北見。 寄席では、新聞紙やロープ、ハンガーなど身近にあるものを使うことが多い。「いつも手にしている新聞紙だから、何度も破って、ハイッと元に戻すと驚きが増す」というわけだ。白紙を一瞬にしてお札に変える技でも、使うのは千円札。「一万円札だと反感を持つ人もあるだろうから」。お客の心理戦は、奇術の重要な側面なのだ。 |
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奇術5 格調ある様式美を追求 (2003/8/30土)
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| 日本古来の和妻の家元である養老派を継いだ北見マキは以後、和洋のマジックを組み合わせた独自の北見ワールドを築いていく。 アメリカやヨーロッパなどの奇術大会にも積極的に参加し、日本奇術の「格調の高さ」を大いに広めた。ベスト・インターナショナル・マジシャン賞や日本奇術協会の松旭斎天洋賞なども受賞。77年「昭和天皇即位50年宮中園遊会」で両陛下の前でマジックを披露したことは「忘れられない感動だった」という。 その集大成が、92年秋に東京・国立演芸場で開いた30周年記念リサイタルだ。1部はタキシード姿で洋妻の「マジカル・パフォーマンス」。ウサギを次々に出してみせる「バニープロダクション」は「夢を与える」メルヘンマジックだ。 2部では紋付き、はかま、かみしもをつけた「和妻歌舞伎」。大きなハンカチから和傘を何本も出し、見る間に1本の大きな傘にして、助六風のミエを切る。最後は竜虎の掛け軸を顔の前にかざし、瞬時に下げると般若の面をかぶっており、衣装も早替わり。パーッとクモの糸をまき散らす。 「和妻には伝統に培われた型と作法がある。それを自分なりに表現した」。このリサイタルで北見は、文化庁芸術祭賞を受けた。 |
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奇術6 小道具を駆使し「柱抜き」 (2003/9/6土)
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| 北見マキの得技のひとつにサムタイ(指抜き)と呼ばれる芸がある。客を舞台に上げ、両方の親指をコヨリで固く結ばせる。そしてアシスタントに刀を真っすぐ持たせ、エイッと刀の向こう側に結ばれたままの両手を通してしまう技だ。和妻の「柱抜き」として伝わるものだというが、北見は、コヨリや日本刀という小道具を使うことで、独自の緊迫感をかもすことに成功した。海外でも高い評価を受けているという。 「日本刀は紙を切るときなども使うが、居合抜きしてさやに収める際に、押さえている左手の親指にちょっと当たると、切れる。ある時など、つめが飛んで、気がついたら血まみれだったなどという失敗は、たくさんありますよ」 94年から日本奇術協会の松旭斎すみえ会長のもとに、副会長をつとめ、00年に会長に選ばれた。この間、FISM(国際奇術協会連合)への加盟や和妻の無形文化財指定などに力を尽くした。 この春、自宅を建て直した際、マジックスタジオを作った。10畳ほどの板敷きで、側面は鏡張り。音響や照明の設備も本格的で、ちょっとした舞台の雰囲気を味わえる。クローゼットにはマジックの小道具やステージ衣装がびっしり。プロを目指す弟子たちが稽古(けいこ)に通う。 |
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奇術7 本やビデオで魅力紹介 (2003/9/13土)
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| 北見マキが会長をつとめる日本奇術協会には、約90人の正会員のほか、名誉会員、賛助会員ら約150人がいる。おなじみのマギー司郎や引田天巧も入っている。「協会はプロの集団だが、マジック愛好家となると何万人になるかわからない」と北見。 全国の市民講座やカルチャセンターなどにもマジックの教室があり、老人ホームへの慰問などで得意の技を披露している人も多い。だれでも好きな時間に練習でき、それなりの成果があがるのは、マジックの大きな魅力だろう。 北見も一般への普及には力を尽くし、著書「マジック手品アイデア集」「ステージ奇術入門」や、ビデオ「お父さんのマジック」「二次会向きマジック」などを出している。さらに通信講座「北見マキのマジック・手品」を開設。切ったはずのロープが元の一本になる、空間から次々にお札をつかみ出す、細かく裂いた紙に水を注ぐと本物のうどんに、など30種の技をテキストとビデオで解説している。 「とりあえずマジックに関心をもってもらうこと。練習すればある程度はだれでも出来る。ただし奥は深い。アマチュアとプロの差は、自分が楽しむか、お客さんを喜ばせるか、の違いでしょう」 |
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奇術8 独学で芸磨きトップに (2003/9/20土)
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| 「どうやったら奇術がうまくなるか、とよく聞かれる。よっぽど手先が器用じゃないとダメだろうって。でも、器用、不器用は関係ない。要はこの技を自分のものにしたい、という意欲です」と北見マキはいう。 自身、中学校の謝恩会ではじめてやったのが、水の入ったグラスの中でタマゴが浮き沈みするという、ごく初歩の手品だった。この最初の拍手が、マジシャン北見の原動力になった。「海外公演では、きちっとした芸を見せると、スタンディングオベーションが起こる。その全身を満たす感動を一度味わったら、もうやめられません」 どの師匠にもつかず、独学で訓練と工夫を重ねてきた。「なんだ、素人上がりかい、というこの世界の厳しさを何度も味わった」というが結局は自分の芸の力で一家を成した。日本奇術協会の会長というトップの座にもついた。 後続者不足が慢性的になっている伝統芸の世界で、奇術に限っては、多くの若手も育っている。が、「日本独特の和妻をきちんと伝えるには、技の習得だけではだめ、日本舞踊から長唄、音曲など総合的な芸を身につけてはじめて、美しい所作が生まれるのだから。そうした養成の場をつくってほしいと、いま国に働きかけているところです」 文:柴田 勝章 / 撮影:山村 行志 |